そんな今日この頃でして、、、

コード書いたり映画みたり。努力は苦手だから「楽しいこと」を探していきたい。

『一般意志2.0』読んだよー

やっと読んだので自分なりのまとめメモと感想。

東氏の書籍は『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)』以来だが、それと比較しても本書は前書きにもあるように「わかりやすいエッセイ」となっており、小難しい理屈は控えめで興味があればサクサク読める内容となっている。

さて内容。


前提

これまで民主主義というと、理性のみを寄せ集めて徹底的に議論を重ねることで「真理」に到達できるという理想論でなりたってきた。

しかし現実的には
・選挙で選ばれた政治家が必ずしも全ての意志を掬いきれはしない
・ある時点での「理性」が正しい結果を生むわけではない
そして何より
・感性を無視することは「幸福」には繋がらない、たとえ「感情的反発」であったとしてもある程度は尊重すべき



そこで民主主義が「真理」にたどり着くためのものではなく、あくまで「合意形成」の手段であるという所に立ち返る。


ソーシャルメディアの時代

「ソーシャルメディアと政治」というテーマ性だと直接民主主義的な発想が思い浮かぶところだが、現実的ではない
・すべての人が意思決定を行うに足る知識を得るのは不可能
・いわゆるソーシャルメディアによる議論では集合知は働かない
※近年の状況で感覚的には感じていたが、まさそういう研究結果もあるようだ→情報共有は集合知を破壊するという研究結果


他方で、何ら意志を介在させずにあくまで数学的ロジックによってのみ、人の関心の強さを図ることは可能になってきている。
例:Google検索のサジェスチョン、Amazonのオススメ

また、そこまで行かなくてもコメントが量的に可視化されることによって、空気感として掴むことはできそう。
例:Twitterの検索、ニコニコのコメント


一般意志2.0

いわゆる意志の数的な足しあわせ、例えば署名を集める運動みたいなスカラー的な和が全体意志。

AとBという両立不可能な政策があったとして、それをマニフェストに盛り込んだような党が当選してしまう。



上記に対して、一般意志とは個々の意志の差異の和、ベクトル的な集合のイメージ。

昔であればあくまで理想の概念でしかなかったが、ネットにより可視化が可能になってきた。

こちらの一般意志を政治の実施の場において、踏み越えてはいけない枠として、「制約」として反映させようというのが本書の主張。

実装

現在実現可能な方法として、ニコニコ生放送でのコメントを流すイメージが挙げられている。

将来的な理想像としては、コメントから意志のベクトルを抽出して総和を可視化すること。


感想

この手のテーマの本だと先に津田大介氏の『ウェブで政治を動かす! (朝日新書)』を読んでいたのだが、あちらがユーザ視点のソーシャルメディア活用論にとどまるのに対し、本書は原理と社会設計に踏み込んだ話となっており、エンジニアとしてはより興味深かった。



実装の部分についてはいささか問題が多いような気がする。

どうしてもアクセス可能性の偏りは不可避だし、結局は誰かしらの「強い発言」に「空気」が流されてしまうように思う。

もっとも、文中でもあくまで「現在実現可能」な方法であり「理想的」ではないと述べられている。

このあたりは「文章解析」などのテクノロジーの進歩とシステム設計によって何らかの解決策を導き出してくれるのではないかと思う。



帯に「夢を語ろうと思う。」とあるように、未来の民主主義のあり方について考え、またエンジニア的にはどう関わっていけるかを夢想するのに、非常に面白い本だと思う。

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル



余談

この本を読んで2つのディストピア小説を連想した。


理性の暴走した世界としての『一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)


そして感性が氾濫する『すばらしい新世界 (講談社文庫)

すばらしい新世界 (講談社文庫)

すばらしい新世界 (講談社文庫)


全く別の方向性から、しかしどちらも個人が自由が剥奪されたディストピアを描いているのが興味深い。

理性と感性のバランスを上手く取らなければ、社会は住みにくくなってしまうのかもしれない。