そんな今日この頃でして、、、

コード書いたり映画みたり。努力は苦手だから「楽しいこと」を探していきたい。

『屍者の帝国』読んだよー

不評なレビューばかり見かけたのでちょっと躊躇してたのだけど、読んでみたら中々おもしろかった。

遺稿を引き継ぎ完成させた物語

本作は、2009年に癌で逝去したSF作家 伊藤計劃が冒頭だけ記して遺した原稿を、友人である円城塔氏が引き継いで完成させた作品である。

そういう作品外の「物語」に商業的なあざとさを感じて忌避してた面があったし、また文体の合わなさによる不評を目にしていたこともあって手に取れずにいたのだが、出版されている伊藤計劃氏の作品は全て読んでしまったし、Kindle版で割引があったこともあり思い切って買ってみた。

死者を使役する世界

本作の舞台は19世紀末。

現実でもあった蒸気機関による産業革命の後、死体にネクロウェアをインストールし「屍者」として使役する技術が出現した架空の世界が舞台。

国家の序列を決定づける主要素が「海図と造船」から「蒸気と情報と"屍者"」へと移り変わり、その中で勢力を伸ばさんと各国の思惑が入り乱れる時代。

屍者は労働力や兵力として社会を支える、国家の運営と発展に欠かすことのできない存在となっていた。

大学で屍者の製造技術を学んでいた主人公ワトソンは英国の諜報機関にスカウトされ、「ある任務」に就くことになるのだが・・・

合作ということ、文体について

小説というのは作家の脳内にある世界を文章という形にエンコードして出力されたもので、読者はそれをデコードして脳内に世界をつくり上げるものである。

当然その情報の伝達過程で劣化や変質は生じるものであり、それ故に複数人の作家がひとつの作品を作るとなるとキャラクターや世界観に整合性があるかといった面が気になるところであるが、その部分については心配は杞憂であった。

以前見たレビューにあったように、「伊藤計劃氏の作品」という感覚で読めば文体として読み難いと感じる部分はあったが、しかし言われなければどこからが引き継がれた部分であるか分からない程度に「ひとつの作品」として成立しているように感じた。

(逆説的に、伊藤計劃氏の作品って「読みやすい」ことが大きな魅力だったんだなぁと気付かされた)

少なくとも「逝去した作家の原稿を友人が引き継いで書き上げた」というドラマ性に胡座をかいた適当な作品ではないように思った。

言語・意思・物語

伊藤計劃氏の著作では、『虐殺器官』で言語が、『ハーモニー』では人の意思がキーになっていたのだが、本作でもそれらの継承を垣間見ることができる。

虐殺器官 ハヤカワ文庫JA

虐殺器官 ハヤカワ文庫JA

ハーモニー ハヤカワ文庫JA

ハーモニー ハヤカワ文庫JA


そして、本作では「物語」がキーとなる。

有形無形の文脈により綴られた物語は、さながらプログラムのように人を動かす。

氏の死をもって「肉体が滅び意思が消滅しても物語として生き続けることを選んだ」などと考えるてしまうのはロマンチシズムが過ぎるかもしれないが、しかし実際に多くの作家に影響をあたえ、本作を完成させたのだ。


昨今、逝去した天才作家として「伊藤計劃」の名がいたずらに使われ、当人の意志にお構いなく便利に利用されている感じに、些かの嫌悪感を感じる方も少なからずいるように見受けられる。

僕もものによってはそう感じてしまう時もあるが、しかし残された僕らは「物語」を咀嚼するより他ない。

義務教育国語な発想では「作者の意図」を読み取れなどと教育しているが、現実に存在しているのは記録と文章のみである。

エンジニア的な発想になるが、プログラムは作用してこそ意味がある。

架空の「答え」を探すのもそれなりに楽しくはあるが、それよりは「物語」が作用して生み出す効果について見ていくのも面白いかもしれない。

余談

伊藤計劃氏の『ガンズ・オブ・ザ・パトリオット』をきっかけにしてメタルギアソリッドシリーズのノベライズも追っているのだが、新作『ピースウォーカー』には本作の影響が感じられて興味深い。

もちろん単語レベル文章レベルでの影響もそうだが、死んだ「ザ・ボスの意志」をめぐる物語であるという点が、どことなく伊藤計劃氏の作品をめぐる昨今の状況を彷彿とさせるのだ。

作品をまたいでマクロに楽しめる。