そんな今日この頃でして、、、

コード書いたり映画みたり。努力は苦手だから「楽しいこと」を探していきたい。

『攻殻機動隊ARISE border:4 Ghost Stands Alone』感想、過去作へのパロディが面白かった

ARISEシリーズも遂に最終章。

これまでのシリーズで明かされてきたクザン共和国を巡る因縁に決着が付く。


声優とかキャラデザとかで当初は色々言われてたけど、個人的には攻殻機動隊"らしさ"を保ちながらも適切にパターンを外していて新鮮味があって良かったと思う。

勿論新規に見ても面白い作品だとは思うが、過去のシリーズのファン(かつ盲目的に「SACサイコー」じゃない人)ならより楽しめるのではないかと思う。


そんなわけで、どうしてもネタバレ含むため以下読み進むのは注意してください。

過去シリーズのパロディ

原作漫画、押井監督映画、神山監督SACシリーズと『攻殻機動隊』とタイトルのつくものは一通り追ってきていると、段々と基になった原作エピソードに気づき、舞台やネタが変わろうとも大雑把な展開が読めてしまうという状況に陥る。

無論それは原作にそれをするだけの魅力があるし、一概にそれが悪いというわけでもないが、しかしSACなんかだと2nd・SSSまで来ると「どうせまた融合すんだろ」とか「記憶操作なんだろ」とか「無敵のハイレグ少佐が全部解決すんだろ」って感じに焼き直しに飽きが来てしまう部分もあって・・・


その辺り「未熟さの残る少佐」という設定からして変化をつけてきたARISEシリーズなのではあるが、このborder4では意識的に過去作の展開をなぞりつつも変化をつける、いわば”パロディ”として消化しているのが面白かった。

おなじみのビルからのダイナミック逃走が防がれる

TVなんかの紹介では必ず登場する、少佐がダイビングよろしく光学迷彩を発動させつつ背中からビルの窓を突き破って退場するアレ。

冷静に考えると、いかに義体といえども高度厳しい気がするし、かといってワイヤーもパラシュートも無いだろうしどうするんだろうって感じではあるが、本作ではこの逃走が完遂しない。

ホズミ大佐やりおる。

互いの不備を責める荒巻と少佐

互いの能力を認め合い、信頼し合ってのハードボイルドな会話のキャッチボールが攻殻機動隊シリーズの魅力の一つではあったが、それは9課あってこそのもの。

それ以前のストーリーとなる本作では、荒巻と少佐達の連携はぎこちなく、互いに皮肉を言い合う場面は何気に新鮮味があった。

多脚戦車戦まで・・・!

過去作で幾度と無く見せ場となってきた多脚戦車戦。

これまでのパターンだと「バトーが足止め→少佐がハッチ開けて電脳接続して無力化」なのだが、ここでも既視感あるシーンを新たな展開で上書き。

粘着弾は効かず、電脳接続による無力化の更に先手をうち・・・

"少女"と少佐

そもそも"少女"の存在からして、”草薙素子”というキャラクターと対比的ではある。

毎度何がしかの相手と電脳接続しては融合し変化していった少佐に対し、”少女たち”はあくまで2つの個を保ったまま変化を恐れた。

そして最後の「ネットに生きる場所求める」という行動にしても、過去作の少佐とは違い、あくまで逃亡としてのそれだった。


だからといって”少女たち”が少佐に比べてダメだとかは思わない。

さながら『マルドゥック・スクランブル』のバロットとウフコックのように、社会からはみ出した存在同士が愛情とも同情ともつかぬ結びつきで支えあっている切なさには琴線を揺さぶられた。


ともあれ個人的には手垢のついた”融合エンド”じゃなかっただけでも満足感高い。



ARISEシリーズは過去作(特にSAC)に愛着深い層からは毛嫌いされがちなように見受けられるが、個人的には本当の意味で「新しい」攻殻機動隊を提示してくれたように思えて非常に楽しめた。

ガジェット・アクション・世界観はちゃんと「攻殻機動隊」してたし、その上で新しい物語を展開してくれたのは良かった。


「やる」という以外なにも情報が出てないので予想すらできないが、新劇場版の映画で501部隊とかの未消化要素をやってくれないかなーと期待せずにいられない。