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そんな今日この頃でして、、、

コード書いたり映画みたり。努力は苦手だから「楽しいこと」を探していきたい。

ノベライズ『楽園追放 -Expelled from Paradise-』感想

劇場版は明日から公開。

先に読んでしまうと本編を楽しめなくなるのではないかという心配もあったが、短篇集が期待以上に面白かったので勢いで読んでしまった。

blue1st.hateblo.jp

面白かったところ

情報生命体の社会、「クラウド」な想像力

ディーヴァ電脳空間における情報体としての人格のあり方や社会の想像力は刺激的だった。

さながらクラウド上のバーチャルマシンのように共有のリソースを有益なものに最適化して割り当てる社会。

人間でありながらも人の枠を超えた情報処理能力を手に入れたことにより、電脳空間は「楽園」となった。


「面白いディストピアもの」の条件として、そこに相応の合理性が見いだせることが必須だと思っているのだが、このディーヴァは正にそれに当たるように思う。

タイトルからも想像がつくようにこの「楽園」を否定する結末が用意されてはいるが、それでもなお、肉体の軛を解かれた人類の社会というものに惹かれてしまうものがある。


古い作品なんかでも電脳空間を活動の場とするようなものは数多くあるが、それらは個人があくまで「クライアント端末」だったり、尖った作品でも人格を一つの「プログラム(と称しつつ演算能力込み)」だったりで、思考能力の所在はあくまで「個人」にあるようなものだった。

その点で本作のユーニークなのは、情報体として「思考」と処理を行う「能力」とを完全に切り離したことである。

「思考」そのものはさながらOSイメージのように各個人が持っているが、それを演算する「能力」自体はサーバであるディーヴァが一括して持ち、社会という総体としてのシステムを回していく。

(あまりITに縁が無い人にはピンと来ないかもしれないけれど、エンジニア業な人間としてはこういうそれっぽいディテールにグッと来たりする。)

莫大なリソースをつぎ込むことによる個人(というか人類)を超えた思考能力のエンパワーメントや、そんな社会ゆえの"処刑"方法などの描写は秀逸だと思った。

このあたりが映像的にどう表現されるのかは楽しみなところである。

残念なところ

情報体としてのギミック

本作の一つの見所が現代的なクラウドの発想である反面で(いや、であるからこそ)、バーチャルマシンとしての複製可能性や可逆性などのギミックが活かされなかった(あるいは、塞がれなかった)ことを残念にも思う。

そのあたりが可能であれば物語はもっと色々な展開ができた気がする(が、そもそも物語にならなかったかもしれない)。

物語のバランス感

厳しい事を言うと「物語」としての面白味を前半で出しきってしまっているのが気になった。

中盤までで世界観の解明や物語のギミックはおおよそ明かされてしまい、後半はアクションの描写に偏る形となっている。

文章で読む「小説」というフォーマットとしては些かテンションが下がるように感じた。


後半は意地の悪い感想になってしまったが、しかし劇場作品という尺を顧みれば、よくこれだけのテーマ性を綺麗に収め、更に映像的な見どころも盛り込んできたなと感心せずにはいられない。

読み終わって痛感するのは、やはり「映像作品向けの物語」だなぁというところであり、ぜひとも劇場に足を運びたいと思った。