- 作者: 藤井太洋
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2015/04/10
- メディア: 文庫
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「ユビキタス」という単語を見かけなくなって久しい今日この頃。
これは多くの国民がスマホという小型コンピュータを当たり前のように身につけ、何かしらのネットワークに常時繋がるようになったことの裏返しであろう。
だが、IT技術が普遍的で社会にとって欠かすことの出来ないなものとなってきたにも関わらず、法や世間のリテラシーの追従が十分であるとは言いがたい。
Winny裁判、Librahack事件、パソコン遠隔操作事件。
報道される内容や捜査の手法、司法の判断にはIT関連を生業とする者からすると首を傾げたくなるようなものも少なくない。
その一方で、企業や行政のIT活用は着々と進んでいく。
住基ネット、Tカード、武雄市図書館、マイナンバー制度、個人情報保護法。
本作はそんなまさに現在進行中の状況を舞台としたITスリラー作品だ。
主人公の京都府警の万田警部は、ある官民複合施設のシステム開発を指揮していた人物の誘拐事件に駆り出される。
事件を捜査するうちに、かつて遠隔操作事件の犯人として拘束されながらも不起訴処分となった武岱の関連を匂わせる情報が上がってくる。
捜査が行き詰まる中で、すっかり容貌の変わった武岱が捜査協力を申し出てくるのだった。
果たして武岱は犯人なのか?
誘拐の真の狙いは?
事件の影に見え隠れするシステム開発の闇、そして民と官の共謀。
リアルなIT描写
藤井氏の作品の特色の一つは、なんといってもエンジニア出身という経歴を活かしたリアルなIT描写だろう。
過去作の『アンダーグラウンド・マーケット』や『Gene Mapper』にも当てはまることだが、作中のテクノロジーは実在のものはもちろん架空であれ現実味の範囲を逸脱せず、没入できることが氏の作品を魅力的なものにしているように思う。
世間のIT音痴ぶりを反映するように、世のフィクション作品において「ハッカー」や「コンピュータウィルス」には見るに耐えないトンデモな描写が多い。
なぜか都合よく規格の合う端子が用意されてるとかネットワーク的に隔離されてるはずなのにクラッキングされちゃうとか、ひどいものだとコンピュータウイルスが人間に感染するようなものもあった。
その点で本作は現実的に可能な領域で話を進めていくので、安心感を持って読むことができる。
そして、そういったバックグラウンドと現実にどこかで見たような案件とを組み合わせ、ここまでスリリングな物語に仕上げてきたことには感嘆させられる。
著者の提唱するITスリラー十戒あたりは実に興味深い。
1. パスワードは推測できない 2. 暗号は解読できない 3. 通信は秘匿できない 4. スマホの電池は一日で切れる 5. GPSの衛星は個人を追跡できない 6. ウィザード・クラスの人物はひとりだけにしよう 間が未定で 10.中国ヤバいで片づけるな
個人的にはここに「万能過ぎる人工知能を登場させない」とか「元々記録する仕様にない情報は取れない」とか、「ソフトウェアがどんなに優れててもハードウェアの限界を超えない」あたりの規定を入れると良い気がする。
人物描写は・・・
だが、一方で人物描写に関してはあまりリアリティを感じることができなかった。
氏の過去作のもう一つの大きな魅力がリアルなエンジニアマインドであったのだが、本作では物語の都合に合わせてなのか、今ひとつ現実感に欠くキャラクター設定・行動原理になってしまっているようにみえた。
このご時世、何か自分の手に負えないレベルの問題に遭遇したならばネットにでも放流してしまうのが一番だ。
それこそ全部じゃなくても断片さえ出せば耳ざといウォッチャーが必要以上に調べてくれるだろうし、客観的に叩ける内容なら炎上までさせてくれるだろう。
本作のキャラクターたちはいくらなんでも物事を個人で抱え込みすぎて、挙句そのあたりの無理を「狂っていたから」に集約してしまうあたりに本作の筋立ての難を感じた。
テクノロジーと未来
もう一つ付け加えて残念だったところは、本作が「技術怖い」「個人情報怖い」に収束してしまうことだろうか。
(単純にそういう感想にならないように配慮した形跡は端々に見られるものの、多分普通の人には伝わらないだろう。)
個人情報にしても「危険だから触らず」が良いかといえばそれは違うはずだ。
現状の非合理を改善し適切に運用できるようになれば事務コストが軽減され処理が確かになり、リスクをカバーしうるだけのメリットがあると思う。
というより、現実的には推し進めて行かざるをえないだろう。
現状の認識の甘い政治家に、技術の怪しいSIerに、そしてずさんな役所に任せることに不安があるのは同感ではあるが。
- 作者: 藤井太洋
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