そんな今日この頃でして、、、

コード書いたり映画みたり。努力は苦手だから「楽しいこと」を探していきたい。

「オタク」とデータベース性

先日↓のような記事がはてブで話題になっていた。

オタクにとっての「教養」は崩壊した。次は「常識」がなくなるだろう。(2124文字):海燕の『ゆるオタひきこもり生活研究室』:ゆるオタ残念教養講座(海燕) - ニコニコチャンネル:エンタメ
 で、直接は関係しない話なのですが、このお話のなかに「剣聖ラインハルト」という人物が出て来るんですね。ぼくはこの名前を見たとき、ちょっと苦笑してしまいました。いやいや、ラインハルトといえば金髪の孺子だろう、と(笑)。

 ひょっとしたらわからないひとがいるかもしれないので解説しておくと、ラインハルト・フォン・ローエングラム田中芳樹銀河英雄伝説』の主人公(の片割れ)です。ぼくのなかではラインハルトといえばこの金髪の若者であって、ほかのラインハルトなどありえないんですね。

http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar197249


僕は課金していないので全文を読んではいないし、それ以前に僕の読解力が足りていない部分があるのかもしれない。

ただ、無料で読める部分だけ見る限り言い知れぬ嫌悪感を抱いたし、ブコメや言及している記事を見るに批判的な論調が強いように思う。



そんなわけで、この嫌悪感の正体は何だったのかなんてことについて考えてみた。




僕は「オタク」というものを、それぞれのジャンルに関して他の人より楽しむ回路が優れている人だと考えている。

楽しむためには感受性はもちろんだが、それを補強する知識も大きな要素となってくる。

乱暴な表現になるが、オタク気質というものには必然的にデータベース的な側面が含まれるものだと思う。



さて、プログラマ的な発想から良いデータベースとは何かについて考えると、
・必要となるデータが保存されていること
・新たなデータを入力しやすいこと
・必要に応じて関連付けられたデータが取り出しやすいこと
になる。

つまり、単にデータ量だけではなくデータの可用性こそが大事。



元の記事の話に立ち返ると、「如何に自分が過去の作品をたくさん見てきたか、そしてそこからどれだけ引用できるか」だけで優劣を論じているように見えて、データベースの良し悪しをデータ量だけで語るような歪さを感じてしまったのが僕の嫌悪感の正体かなと思ったり。



過去の作品や元ネタの知識から、新しい作品に隠れたテーマ性や「あえて」の部分を見つけるなど、楽しみの幅を広げる方向に使えるような人については僕は正に「回路」が優れていて羨ましいと思う。

でも、今回の元記事のように個々の要素の同一性だけを取り出して新しい作品の評価を貶め、しかもその評価が絶対で正当なものであるように言うような、楽しみの幅を狭めるような方向性でしか使えないようなやり方はちょっとどうかなと感じてしまう。




僕は銀英伝は大好きだし、最近のラノベ原作アニメには乗り切れないなと感じる事が多い、ちょっと時代遅れになりかけなオタクのポジションだと思う。

でも、新しいものの面白さを見つけて行ける人間でありたいなと思っている。

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