そんな今日この頃でして、、、

コード書いたり映画みたり。努力は苦手だから「楽しいこと」を探していきたい。

『WATCHMEN』感想

ウォッチメン [Blu-ray]

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本作は個人的にはアメコミ映画の見方が変わった思い出深い作品だったりする。

個性的な(あるいはパロディのような)ヒーローたちの活劇を描きながら、 その裏で政治風刺や「正義」という概念の危うさへの洞察、 そして人知を超えた者の思考への想像力など様々な魅力を含んでいる。

この手の話題だと世間的には『ダークナイト』の方が挙がりがちだけど、 個人的にはこっちの方が皮肉が効いてて好きなんだよな。

ダークナイト [Blu-ray]

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さて、前から常々気になっていた原作漫画を読み終えたので、 改めて感想をまとめてみた。

WATCHMEN ウォッチメン(ケース付) (ShoPro Books)

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  • 作者: アラン・ムーア,デイブ・ギボンズ,石川裕人,秋友克也,沖恭一郎,海法紀光
  • 出版社/メーカー: 小学館集英社プロダクション
  • 発売日: 2009/02/28
  • メディア: 単行本
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(情報量がめちゃくちゃ多くて読むのに結構時間かかった。)


世界観

法の手がとどかない悪に対し、覆面をかぶりそれを処断するヒーローが生まれた。

様々な出自の者がそれに続き、やがてチームを結成するまでになる。

当初こそ民衆やメディアはヒーローを好意的に扱っていたものの、無邪気な信頼は次第に匿名の暴力への不信感へと変わっていく。

やがて、そんな民意に後押しされ、キーン条例によりヒーロー活動は非合法化されることとなった。

ある者は普通の市民へと戻り、ある者は正義の標榜を捨て国家のために働き、またある者は非合法の正義を貫き・・・


ヒーロー=英雄とは、社会にとって有益なことを為す者のことを指す。

すなわち社会がどうあるべきかの指針=正義のあり方のメタファーなのだ。

民主主義の社会にあっては「民のため」が正義ではあるが、 民意の後ろ盾が失われたとき、それは正義といえるのだろうか。

本作では様々なヒーローを通して、「正義」のあり方についての問いが描かれる。


ロールシャッハとオジマンディアス、「正義」のスコープ

「正義」のスタンスという意味で最も対照的なのがロールシャッハとオジマンディアスだろう。

身にまとうマスクが如く、あらゆる物事を善と悪で二分し、とにかく目の前の悪を許さないロールシャッハ。

一方、最終的な正義のためならあらゆる犠牲を払うオジマンディアス。

素顔とマスク、社会の日陰と日向、それに身体能力と、あらゆる面で対照的にもみえる。

だが、時間軸や行為のスケールなどを変えてみると、 己の信じる正義のためなら法も犯すしあらゆる犠牲も厭わないという意味で、 彼らはスコープが異なるだけの同じ穴のムジナなのだ。

ロールシャッハの近視眼的な正義は己の矛盾に気づいたときに存在意義を無くすし、 オジマンディアスの思想は人を置き去りにした時点でもはや正義とは言えない。


この手の「正義のスコープ」について(あるいは右翼左翼的な話題について)考えていると、 僕はいつも『新世界より』の身内意識の話を連想してしまう。

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ブンガクのヨーシキビは「広くて」「長い」視点を安易に善しとしがちだが、 そこに生きている人々がいて相剋する利害がある以上、 現実はそんなに単純には割り切れない。


Dr.マンハッタンの神の視点

原子を操り、巨大化も瞬間移動もでき、おそらく不老不死。

あくまで人間としては強いだけの他のヒーローとは異なり、 完全に人外の域に達してるDr.マンハッタン。

時間的にも物理的にも人の域を超えており、 「スコープ」そのものを無意味だと捉えていて、 結果としてあらゆる物事に対し無干渉になってしまう。

もはや善でも悪でもない存在となったのだ。

だが、外野の人間は否が応でもそこに意味付けしてしまう。


このキャラクターの思考は、単純にSF的な想像力として面白いなと感じたのと共に、 どこか僕が少年期に親しんだ「結果を恐れて行動できない」系アニメ主人公を連想させられた。

全てに配慮すると、結局何も選びとることはできなくなってしまうのだ。


コメディアン、ナイトオウル、シルクスペクター、覆面の厄介者たち

コメディアンは国家に雇われ、主義もなく時の政府の方針に従う。

目的としての「正義」を捨て、手段としての「暴力」を愉しむ者。

物語の最初にさっさと死んでしまうキャラクターなのだが、 彼という存在を理解することこそが、この物語を読み解く術なような気がする。


そして、市民として暮らしていたナイトオウルとシルクスペクターは、 物語の最後にヒーローとしての復帰を選ぶ。

一見ポジティブな「自分にできる正義を貫く」という姿勢のようにもみえるが、 「衝動を満たすための正義ごっこ」という見方もできる。

時勢でどうとでも変わってしまう正義の概念に迎合し、己の主義主張はどこかに置いておいて、快楽としての暴力を愉しむ。

コメディアンが見出した「人間の本質」を継いだとも思えるのだ。



ヒーローvsヒーローの構図をもつ物語には、社会の葛藤が凝縮されている。

今度これまた感想を上げようと思っているのだけど、 昨年のアニメの『ワンパンマン』なんかはそういう「ヒーロー」に仮託されたもろもろを皮肉っている感じが面白いし、 『コンクリート・レボルティオ』では政治性を廃した「超人」という概念で物語を稼働させていて興味深い。

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ヒーローvsヒーローといえば今年公開の『キャプテン・アメリカ3 シヴィルウォー』や『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』もすごく楽しみだ。

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