ちょっとタイミング的に乗り遅れた感あるけど、Togetterにまとめられちゃった記念ということで。
『オタクの女の子になりたい願望は性別を超える』をめぐって - Togetterまとめ
別冊spoon. vol.32 「ガールズ&パンツァー」最終回直前総力特集号 62484‐85 (カドカワムック 481)
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「男のオタクの人ってかわいい女の子と付き合いたいわけじゃなくて、可愛い女の子に自分がなりたいんですよ」
「だから性別っていうのを超越した存在なんですよ、オタクって」
という別冊spoonにおける桃井はるこさんの発言。
それに対し↓の記事
オタクの女の子になりたい願望は性別を超える - 狐の王国
で、その批判が↓の記事
“かわいいい女の子になりたい”くらいで、安易に“性別を超越した”なんていうもんじゃないよ。 - 想像力はベッドルームと路上から
さて僕はといえば、元発言については「割と分かるかもなぁ」というのが率直な感想だったりする。
(原文を読んでないからもしかすると本来の意図とは違うかもしれないけど。)
別に性転換願望とか「女の子になってあんなことやこんなことを、ぐへへ・・・」的な話じゃなくて、
日常系萌えアニメ的なコミュニケーション性に憧れるっていう感じ。
オタクの女の子になりたい願望は性別を超える - 狐の王国を読んで、
『無駄に難解で乱暴なまとめ方な気がするけど、とかく無条件で承認される存在の象徴として「美少女」に憧れるというのはあるわな。』
というブコメを書いたら割と☆がついたので、多分それなりに一般性のある感覚なのだと思う。
(無論そんなこと思わねー、みたいな人もいるとは思うけど。
僕の友人にも感情移入をせずに完全に傍観者の立場でアニメを楽しむスタンスなやつもいれば、
「女の子になって、ぐへへ」なやつもいるので、
「オタクってこうなんですよ!」みたいなことは言えないのはわかってるけど。)
で、そうこうしていたら“かわいいい女の子になりたい”くらいで、安易に“性別を超越した”なんていうもんじゃないよ。 - 想像力はベッドルームと路上からの記事が出てきて、まあざっくり言えば「妄想の女の子に共感した位で性欲が浄化されるわけじゃねー」的な話だと思うのだけれど、なんというかすごくシャドーボクシングな印象をもってしまった。
前の記事でも少し引っかかったんだけど、この話でジェンダーの抑圧云々を持ち出す必要がそもそもあるのかな?なんてことを疑問に思った。
感覚的に「女はこうあるべきだ!」的な支配欲とか「リアルの女の子怖いお」的な性役割からの逃避として説明されてもなんだかピンと来なかった。
動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
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だからその文脈において「父性の支配欲」やら「ジェンダーの抑圧」やらという話は分かる気がする。
でも、近年の萌えアニメの文脈ではもはやそういうジェンダー云々に立脚しなくても暗黙の了解として美少女が最強の存在として成立してるように思う。
否定はされないし最終的には幸せな結末が待っている、基本的に勝利が約束されている存在というかなんというか。
だからこそまどマギの演出って驚きをもって受け止められたわけだし。
そんなわけで大回りしてしまった話を戻すと、萌えアニメと「美少女」についてシコリティ的な軸がつきまとうのは致し方ないことだとは思うのだけれども、それで全てを解釈するのは何か違くないですかというのが僕の主張だったりする。
今回の話で言えば、別にジェンダー云々に基づいて「美少女」に憧れてるわけじゃなくて、物語上での役割としての「美少女」の概念に憧れてるのではないかと。
元の発言に強いてケチをつけるなら「オタクが性別を超越した」という表現には語弊がある気がしていて、どちらかというと「美少女という概念が性別を超越した」というのが実状に近いかなと思う。
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どうしても考えていることに対して文章力が追いついていかない気がする・・・
ましな説明を思いついたら逐次変えてこう・・・
あと別冊spoon高い・・・