上映時に観に行くか迷って見送ってた作品なんだけど、サブスク入りしたということで早速鑑賞してみた。
シリーズ前作にあたる『マッドマックス:怒りのデスロード』でマックスと並んで「もう一人の主人公」然としていた女戦士フュリオサの過去を描いたスピンオフ。
前作でキーワードとして登場した「緑の地」や「ガスタウン」・「弾薬畑」がどのようなものであったのかや、砦の外部の武装勢力として放牧民族然としたディメンタス率いるバイカー軍団が描かれる。 そしてフュリオサがいかにして左腕を失い、イモータン・ジョーの下でウォータンクを任される大隊長になるに至ったのかが語られる。
前作同様に荒廃した世界観や突拍子もない改造車は魅力的だし、その中であくまで力でまとめ上げているディメンタスと個人崇拝を確立させたイモータン・ジョーの組織の対比なんかも面白かった。
ただ一方で、フュリオサ役を務めるアニャ・テイラー=ジョイは流石に細腕すぎる印象が拭えなかったし、ディメンタスのコメディノリもちょっと狙いすぎていて上滑りしているように感じられてしまった。
故郷への帰路を記した左腕を捨てる展開なんかも、本来的には「故郷への希望を取るか母の復讐を取るか」的なアツい意味合いを持たせられたはずなんだけど、(尺の都合なんだか)フェリオサ側に葛藤が見られないしディメンタス側もいまいち認識してない感じになってしまって物語上の重みが無くて勿体ない。 単に「一方の腕を捨てる」という痛みの描写でしか用いないのなら、劇中で何度も意味ありげに描く必要も無かった気がする。
本作においてフェリオサの相棒であり師であり(ディメンタスいわく)恋人であるジャックとのあれやこれやについても、前作のマックスとの物語を縮小再生産しているように思えてしまった。 本作単体としては別に悪いものでもないのだが、この描写によって前作の「互いの利だけで繋がった行きがかりの関係から情が湧いてくる」という物語の美しさを「ジャックの面影があったから」という背景の追加によって毀損してしまっているように感じられて残念である。
全体感として、シンプルなストーリーラインにインパクト満点のド迫力な映像で畳み掛けてくる――そのプリミティブさ故に寓話性を獲得している――前作と比較すると、左腕のくだりにしろジャックまわりにしろ物語として冗長な印象がありエンタメとして見劣りする感は否めなかった。
世界観の補完としても単体の作品としてそれなりに楽しめはするんだけど、いかんせん前作の偉大さの前には霞んでしまうなあというのが個人的な結論にはなる。
