そんな今日この頃でして、、、

コード書いたり映画みたり。努力は苦手だから「楽しいこと」を探していきたい。

「「「わけがわからないよ」」」まどか☆マギカ 叛逆の物語 観たよ〜(ネタバレ注意)

共に戦う仲間、マミさんがいて杏子がいてさやかがいて、そして、まどかがいる。

魔法少女達は負の感情の具象「ナイトメア」を殺さずに浄化して、街の平和を守る。

誰も死なないシステムで動く、やさしい世界。


けれども、ほむらは気づいてしまった。

その世界の違和感に。

ほんと怪作だなぁって

大雑把な世界の流れ

TVシリーズ終了後の、まどかが神性を獲得し魔女の居ない世界が実現してからの物語になる。


魔女がいない世界でも、魔法少女達の「思い」によりソウルジェムは濁っていく。

それはほむらにしても決して例外ではなかった。


インキュベーターは円環の理、つまりはまどかを制御したいと考えた。

そこで、ソウルジェムが濁り、擬似魔女と化したほむらを外界からの影響が及ばない状態に拘束する。


ほむらの結界は、その「願った世界」に必要な人間を呼び寄せる。

作り変えられた世界のマミ、杏子、そしてまどかとさやか、べべ。


「世界」の矛盾に気づいたほむらは、ついに魔女化する。

しかし魔法少女達、そしてほむら自身の力により、結界はやぶられる。

そして神性を纏ったまどかが、ほむらの救済へと現れる。


しかし、ほむらには企みがあった。

彼女は「まどかの犠牲により救われる世界」に叛逆し、「まどかの居る世界」を願った。

ほむらはまどかの神性を奪い、まどかがそうしたように、世界を再構築した。


絶望のある、けれども皆がいる世界。

ほむらは神を否定し悪魔と化してでも、そんな世界を欲した。

まとめ

まどか☆マギカ」というタイトルながら、徹頭徹尾ほむらの物語なんだというところが色濃く出ていた。

まどか☆マギカという物語の始まりが「まどかを救いたい」というほむらの願いから始まっているとすれば、この作品の「まどかのいる世界を取り戻す」という願いの成就で終わるという結末はある意味で必然かもしれない。

一見すると「救い」を否定した不可解な決断に見えるかもしれない。

けれども見方によっては、全てのキャラクターに「救い」がもたらされているように思った。


TVシリーズでは主人公以上に視聴者の感情移入の対象となっていたさやかが、劇中いやに割り切れて冷静でいて、そんな様子にまどか同様に「人ではない何か」になってしまったんだなぁという切なさがあったのだけれど、最後の場面で人間らしいリアクションをとっているところが、個人的には「救い」だなぁと思えた。


新キャラについては敢えて出す必要はあったのかな?という気はするものの、魔法少女5人についてはそれぞれにちゃんと役割があり見せ場があり、脚本の上手さに感心させられた。

セカイから日常に還る物語

漫画版みたいにTVシリーズ前ならばいくらでも描きようがあるとは思っていたけど、まさか綺麗に簡潔した(と思っていた)シリーズ終了後の世界を描いてくるとは思わなかった。

(別世界線といえば、この漫画は結構面白かった→ 「魔法少女まどか☆マギカ ~The different story~」読んだよ〜 - そんな今日この頃でして、、、)

思えば「誰かの自己犠牲による救済」というものに依存してしまうのは弱さなのかもしれない。

残酷な世界だけど、「日常」に救いを見出す、そんな強さを感じる物語だった。

個人的ハイライト

魔法少女戦隊プエルマギカ・クインテット

馬鹿馬鹿しいくらいに健全で毒っ気のない魔法少女達。

ファンの誰しも望んだであろう5人の共闘。

ガン=カタ

メンタル以外最強のマミさんが印象的だった。

ジョジョだったら時間操作なんて最強級の能力なのだけど、その能力の発動までの隙を付くマミ(とさやか)戦闘の描写は、単純に少年漫画的に面白かった。

「「「わけがわからないよ」」」

意外とQB影薄かった…

この作品のBOXいずれかは手に入れたいなーとは思うのだけど、TVシリーズにするか映画版にするか迷う…

映画版は未見だけど完全に総集編って感じらしいし、けれども財布事情的なものもあるし…

→ちょうどよくTV放送されたので前後編観た。(まどマギ映画の前後編をTVで観て、また叛逆の物語観てきた話 - そんな今日この頃でして、、、