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そんな今日この頃でして、、、

コード書いたり映画みたり。努力は苦手だから「楽しいこと」を探していきたい。

『メタルギアソリッド ピースウォーカー』読んだよー

メタルギアソリッドシリーズのノベライズ最新作、『ピースウォーカー』を読んだのでその感想。


本作は2010年に発売されたPSP用ソフト『メタルギアソリッド ピースウォーカー』のノベライズ作品。

その頃僕は暇を持て余した学生で、ゲームの方は発売日に家電量販店に買いに走った記憶が蘇ってくる。


クリア時はそれほど複雑なストーリーとは感じず、ストレートに「ザ・ボスの幻影を葬る」物語であると解釈していたが、本作によりビッグ・ボスの心理に多面的な解釈の余地が与えられた。

「ザ・ボスの真実」を巡る物語

本作は3のスネーク「ジャック」がザ・ボスを殺しビッグ・ボスの称号を得た後、米国から姿を消した後の時間軸。


南米コロンビアで「国境なき軍隊」を指揮していたスネーク達は、隣国コスタリカでCIAの陰謀が蠢いていることを知る。

そこでは、完全なる抑止力を実現するために人の手を介さずAIの判断のみによって水爆を発射し報復する兵器「ピースウォーカー」が造られていた。

そして、そのAIは過去の記録を元にし、ザ・ボスの思考を模して作られていた。


AIを完全なものとするためにはザ・ボスの「真実」が必要となる。

公的に残された「記録」だけではなく、スネークのみが知る「記憶」が。

「過去」という文脈

本作ではCIAの持つ記録とスネークやその他のキャラクターの記憶より、ザ・ボスの本当の意志ーー真実を探る物語でもある。

ミッションを続ける中でスネークは(そして僕らは)、一度は確信した「真実」を疑うことになる。


昨今のこの国を取り巻く諸々を彷彿しないでもないが、僕は「過去の真実」などというものは実在しないと考えている。

無論リアルタイムでは確固たる意志があり、それが行使され結果が生じる。

だが、過去となり記録や記憶の中となった時点で、それらは歴史の物語に組み込まれてしまう。

文脈は読む者の都合により読み替えられ、解釈され、利用されていく。


結局のところ、あらゆる過去の物事については、事実を知ることはできても真実を読み取ることなどできないのだ。

ただただ、残された物語に駆動されて僕らは生きるしかないのである。

伊藤計劃

さて、本作について一貫した感想を述べようと思うと、それがちょっと難しい。


本作ではキャラクターが語り部となって進む文体や「死者の帝国」など端々の単語、そして過去を「物語」として解釈するあり方に伊藤計劃氏の作品の影響が色濃く見られる。

屍者の帝国

屍者の帝国

もはや「影響を受けた」というよりは意図して模倣しているかのように感じる。

しかし、作品としての主題は「故人を利用すること」「故人に縛られること」の否定なのだ。

物語ではスネークはビッグ・ボスとして、「ザ・ボスの意志/真実」を求めることをやめ、また誰にもそれをさせないために、世界に対する悪役としての物語を引き継ぐという選択をするのだが、本作はどうにも「伊藤計劃氏に縛られている」印象を受けてしまう。

あとがき・解説を読むとその違和感はより一層強くなる。

そのせいなのか、どうにも物語としての「説得力」が弱いように思えてしまうのだ。



メタな方向での感想は置いといて純粋に一作品としてみると、アクションの描写については些か弱いなと感じる(特に中ボス戦とかゲームやってないと厳しくないだろうか)し、ゲーム時と同様に終盤の展開には無理やりさを感じないでもないが、それはそれとしてシリーズのファンとしては十二分に楽しめた。

本作はSWⅢでダースベイダーとなったアナキンよろしく、この時よりスネークが世界の秩序を敵に回す悪役「ビッグ・ボス」になる転換点なわけで、それが面白くないわけがない。

ゲームではスネークの心情の変化というのは比較的あっさりとしか描写されなかった印象があるため、本作で補完することにより、なぜスネークが「ビッグ・ボス」になることを決意したのか、その物語に深みが与えられた様に思う。