そんな今日この頃でして、、、

コード書いたり映画みたり。努力は苦手だから「楽しいこと」を探していきたい。

『幼年期の終わり』感想

 「おすすめのSF小説」みたいな話題ではかならず名前を目にする本作。

幼年期の終り

幼年期の終り

 他作品なんかでもネタとして参照されたりするので「人類を超越した存在が地球を見守っている」程度の大雑把な概要は知っていたんだけど、それが物語としてどう展開していくのか気になったので読んでみた。


 ある日、地球に無数の巨大な飛行物体が飛来した。その宇宙船団を率いる存在はカレルレンと名乗り、人類を遥かに超越した技術を用いて社会への介入を始める。それは支配と呼ぶにはあまりにも穏やかな――保護のような――ものだった。人類は彼らを畏敬を込めてオーバーロード(上帝)と呼び、徐々にその存在を受け入れるようになっていった。

 果たして彼らは何者なのか。そして何を目的としているのか。


 本作は

  • 突如として船団が地球に現れるプロローグ
  • 次第にオーバーロードによって変革されていく社会を舞台に、カレルレンとの唯一の連絡係である国連事務総長ストルムグレンの視点を描いた第一部「地球とオーバーロードたちと」
  • 約束の期限により神秘のベールが剥がされたオーバーロードたちと人類たちとの交流が描かれた第二部「黄金時代」
  • オーバーロードの目的が明かされ、人類の変容とその結末が描かれる第三部「最後の世代」

の4つからなる。

 最初こそオーバーロードに対し戸惑い・不審感・敵意のあった人類も、彼らとの歴然たる科学力の差ともたらされる多大な恩恵によってその存在を認めざるを得ない状態となる。超越的な存在を前に、宗教も軍隊も国家も意味を成さなくなり世界平和が実現するというのは皮肉である。

 だが、探さずとも「答え」が与えられるようになったとき、そして十分な「幸福」が与えられるようになったときに、それでも一部の人間はそれに満足せず好奇心を原動力として冒険したり、創作の美を追求しようとする。そういった性質こそが人類の尊い部分なのだという風に読めた。

 三部についてはそれまでと少し味わいが異なる。人類がその後継者を生み出し半ば抜け殻のように衰えていく。穏やかな衰退の中で、ひとり時に取り残されたジャンは終焉を見つめる。人類の進化の喜ばしくも悲しくもある、なんとも形容しがたい後味を残す。


 そんなわけで、この物語は人類賛歌と滅びの哀愁の入り混じったなんとも感想をスパッとは表しづらい作品だった。しかし同じ滅びの話でも、こう辛気臭さが薄いのが『火星年代記』あたりとは違って好みだなー。

 タイトルの「幼年期」が人類という種を指すと共に、この子どもたちのことも二重に示しているあたりがなかなか技ありである。

幼年期の終り

幼年期の終り