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そんな今日この頃でして、、、

コード書いたり映画みたり。努力は苦手だから「楽しいこと」を探していきたい。

映画『屍者の帝国』感想

映画 伊藤計劃 アニメ

第一弾である本作の公開を前にして11月を予定していた第二弾『虐殺器官』の制作会社倒産など、 なんとも波乱含みな様相となってしまったProject Itoh。

なまじ好きな作品の映像作品化となると期待半分不安半分となるところに更に不安要素が増したなという感じではあるが、 とはいえ観ないと何も語ることは出来ない。

そんなわけで早速会社帰りに観に行ってきた!

何気に後ろの方にある登場人物の元ネタ紹介ありがたかったり

(ついでにいうと、結構忘れてしまっていたので原作読みなおしてしまった。)

blue1st.hateblo.jp


原作からの変更点

原作既読者としては初っ端から「えっ?」となるところだが、 全体的に結構な部分が省略され変更されている。

伊藤計劃氏が書いたであろう大学からの導入部はなくなり、 前半を形作っていたロシア帝国事情は省略され、 大里化学以降からクライマックスに至るまでの経緯はほとんど別物となっている。

ただでさえ長い物語だし、特に浜離宮あたりのシークエンスは本筋からすれば余分な気もするので いたし方ない処置かもしれないが。

また、それに伴いキャラクターに関しても大きく変質している。

フライデーはかつての友人になり、Mはヴァン・ヘルシング的な要素を取り込み、 グラントやハダリーのキャラクター性も変わり・・・

動機は単純化され、関係性は耽美な味付けがなされた。

言語SFとしての要素は薄まり、割と安直なエンターテイメント作品になってしまった感はある。


物語による魂の上書き、意思の継承。

原作『屍者の帝国』を個人的には「人間が物語に駆動される」部分こそが重要な作品だと解釈していて、 だからこそフライデーが単なる道具であることに意味があったと思っている。

それが本作の「親友を生き返らせるため」みたいな情念的な動機付けに置き換えられてしまったことには正直あまり肯定的な感想を持てないが、 これが『蘇る伊藤計劃』での監督インタビューの「円城さんの作品なんだな」という解釈の現れなのだろう。 

蘇る伊藤計劃

蘇る伊藤計劃


こんな映像が見たかった!

実のところ『虐殺器官』『ハーモニー』『屍者の帝国』と読み終えたとき、 本作が一番画として映えそうというか、アニメ作品で観たいと思っていた作品だったりする。

屍者があふれる19世紀ロンドンの町並み、険しいアフガンの山稜の道のり、浮世絵的な彩色の日本の港町、スチームパンク感あふれる大里化学での剣戟、蠢動するチャールズ・バベッジ・・・

それらが想像と違わず、いやそれ以上に美しく描かれていたことに、ただそれだけで感動を覚えた。

ライティングボールに関しては、いかにも脳みそホルマリン漬けな見た目にしない方がむしろスチームパンク的で良かったのになという気はするが。

蛇乃目伍長の「エアフォースの英国面に来い!」 Mk.2 : ハンセン・ライティングボール



ほんと正直なことを言うと、会社帰りの疲れから虚ろな頭で鑑賞してしまったので、 駆け足気味な展開をしっかり飲み込めなかった面もある。

先に述べたように変更点についてはいささか納得いかない部分もあるのだが、 他方で映像的には「見たかったものが見れた」という満足感が勝った。

不思議と映画って物語的に優れてるものはそう何度も観ようと思わないのだけど、 映像的に優れてるものは繰り返し観たくなるんだよな。

しかし改めて原作を読み返すと、個人的な趣向もあってか言語SF的な部分に惹かれる。

人体をハードウェアとしてみたときのソフトウェアとしての意識とか、いわばアセンブリ言語のようなノストラティック大語族の解釈とか、 あるいは他の円城作品でみられる異種知性への想像力になかなかにワクワクできる。

屍者の帝国 (河出文庫)

屍者の帝国 (河出文庫)

今にして思えば、一本筋の物語ではないせいか最初に読んだときは状況を追うのに懸命すぎて、周辺の要素の読み取りが足らなかった気がしてきた。