そんな今日この頃でして、、、

コード書いたり映画みたり。努力は苦手だから「楽しいこと」を探していきたい。

そんなことより『ガッチャマンクラウズ』みようぜ!

最近公開された映画が話題のガッチャマン。


ネット上の評判では「デビルマンを超えた」とか「まだデビルマンよりはマシ」とか色々だけど、まあ総じて碌なもんではない感じなようだ。

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↑絶望的なレビュー!


ハリウッド映画だと近年はアメコミヒーローものには当たりが多くて、「ヒーロー」というモチーフに深淵なテーマ性を持たせることに成功していたりするのだけれど、日本ではどうにも「大人向け=恋愛ごっこを入れりゃいんじゃね」程度にしか考えられていないんじゃないかと思えて仕方がない。


言わずも知れたダークナイト。「正義」と「悪」の対称性。

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個人的にはすごく好きなウォッチメン。「力」はどうあるべきか。

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この辺の違いって、アメリカは国際的な立場とか国民性とかで国体を「ヒーロー」に投影しやすいのに対して、日本だとどうにも感情移入しにくいからなのかなーと考えたりする。

その分、一般人が突然過大な力を手に入れてしまう巨大ロボットアニメの方の想像力が優れているとは思うけど。





閑話休題。


そんなこんなで散々な実写の方はともかく、今放送しているアニメ『ガッチャマンクラウズ』は実に面白い。


僕は世代がら『ガッチャマン』というタイトルを見て、「ああ、また最近よくある懐古アニメかよ」とスルーを決め込んでいたのだけれど、偶然観た3話がなかなかに面白くて、以後視聴を続けている。


僕は全く原作の方には造詣がないのだけれど、元の「ガッチャマン」からの人名・用語は色々受け継いでいるものの、特に把握はしていなくても問題ない位に「新作」として楽しめている。



どんな話か

異星人犯罪者を秘密裏に駆除する特殊部隊・ガッチャマン。その存在はフィクションとして、市民からは実在を否定されていた。
2015年初夏。日常に物足りなさを感じていた女子高生、一ノ瀬はじめは、突如目の前に現れたJ・J・ロビンソンより謎の手帳『NOTE』を授かり、フィクションであるはずの戦士・ガッチャマンとなる使命を受ける。予感を頼りに学校を飛び出したはじめは、そこでガッチャマンとして戦う・橘清音と出会い、フィクションが現実であった事を知る。
立川「CAGE」所属のGメンバーとして迎えられたはじめは、持ち前の自由奔放さでメンバーに新風を呼び込んでゆくのであった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%9E%E3%83%B3_%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%BA


↑の説明だけだと、まあありがちなヒーロー物なのだけれども、「GALAX」というギミックによりスマホ・SNSのある社会という現代性を反映されている。


ボトムアップ型の「正義」としてのGALAX

パッと見はアメーバピグみたいなアバターで交流するSNSなのだけれども、人工知能「総裁X」の統括のもとに必要な場と必要な人材を繋いで「突出したヒーローではなく普通の人々が助け合う構造」を作り出そうとしている。


人々が生来的に持っている良心や正義を行使したくなる欲求をネットワークで繋ぎゲーミフィケーションで後押しするという想像力は実に現代的で面白いなと思った。


僕も梅田望夫の『ウェブ進化論』に感銘を受けてWeb系のエンジニアになったということもあって、GALAXのボトムアップ型の社会構築の理想像には凄く共感するのだけれども、一方でその危うさや奇妙さも上手く表現されている。

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)

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↑当人が「日本のウェブは残念」と見切りをつけ、また実際的な難点が露呈してきた昨今ではあるけど、それでも今だに読みなおすたびに僕はその理想に感銘を受ける。



かつては「ネットにより価値観が多様化する」とかそういう言説もあったけれど、現実をみるとむしろ「大きな価値観に接続されていく」ように感じる事が多い。


SF脳的な予想だと、フィクションにおいてA.I.が出たら暴走しないわけにはいかないと思うわけで、きっと今後の話でこの辺りの危険性がヒューチャーされていくんだろうなーと思ったり。


あと、GALAXの創造主である累が「LOAD GALAX」として振る舞う時は常に女装して「現実社会におけるアバターをまとい、身を守っている」部分もなんだか示唆的だなと思う。

人類を滅ぼすモンスターとしてのベルク・カッツェ

本作でいわゆる悪役となるのが宇宙人の「ベルク・カッツェ」。


カッツェの目的は「自らの手を汚さずにその星の生物が自ら滅ぼし合う」ように仕向けることである。


ネットスラングを用いた「メシウマ」等の台詞や姿を見せずに攻撃する、他人に擬態して争いの火種を作るなど、明らかにネット上で見られる「悪意」を具象化したキャラなように思える。


「人類を滅ぼすモンスター」という視点で考えたとき、「単一のモンスター」がそれを実現するのを描くのは想像力的に難しくなってきていて、近年では吸血鬼とかゾンビみたいな「増殖系のモンスター」が主流になっているのだけれども、カッツェの「人の意志をエンパワーメントして滅びに導く」というモンスター像はなかなか新鮮で興味深い。


主人公はじめちゃん

そんなわけでギミックや敵が面白さが目につくのだけれども、主人公のはじめちゃんのキャラクター造詣も地味に面白いなと感じる部分がある。


現在の7話まで見進めていると、時々はじめちゃんの言動に違和感を感じることがある。


一見よくある頭ふわふわ系のキャラのようにも見えるけど、視聴者の移入用に用意されたキャラであろう清音とのやりとりを観るに、もっと何か戦略的に用意されたキャラクター造詣なんじゃないかと思えるようになってきた。


僕なりにこのキャラの違和感を解釈すると「共感の欠如」なんじゃないかなと思う。




「共感」しないが「想像力」に優れるからこそ他人を自分の尺度だけで捉えない。


『一般意志2.0』で「理屈ではなく共感で人は動く」的な事が書かれていてなるほどなと思ったのだけれど、逆説的に言うならば、それは身体や思想などの違いによる共感可能性の限界が、身内と他人を分かつ強固な境界線になりうるということにもつながる。
『一般意志2.0』読んだよー - そんな今日この頃でして、、、


一昔前の想像力ならばそれを画面の「こっち側」と「むこう側」とでもするところなのだけれども、現実にはそんなに単純ではない。


極端な言い方をすると「共感」とは身勝手な幻想にすぎないのだ。

The Indifference Engine (ハヤカワ文庫JA)

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↑表題作なんかまさにそういう話を描いているように思う。

「海洋生物に共感して他国民には共感しない」「避難民には共感して残り復興への努力をする人には共感しない」etc・・・


ネットワークで世界がつながることによって、新たな形の共感の限界性が出現してきたように思う。


そんなSNS化した社会の中にあって、あくまで自分と他人を区別し、しかし敵対するわけではないはじめちゃんのキャラクター造詣は、とっつきにくくはあるけど興味深い。

無料配信やで〜

そんなわけで、「トップダウン型の正義」と「ボトムアップ型の正義」の対立とか共感の限界性とか、話をどう進めて収めていくのかが楽しみな本作なのだけれど、なんと都合のよいことに8映画の公開を記念して日テレオンデマンドで/31まで無料配信されている!


今更宣伝するまでもないけれど、少なくとも今のところはすごく面白い作品なので、この機会に観ておくことをオススメしたい。

ガッチャマンクラウズ | 日テレオンデマンド

TV放送時のCMの尺埋めのために連続で実写映画の宣伝が入るのは凄く萎えるけどな。





GATCHAMAN CROWDS   DVD-BOX

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意外とBOXが安い!

内容物が色々ついてるとはいえ、同話数のガルガンティアの1/3とは・・・

ぬるい所に落ち着かずに何か面白い落とし所に持って行ってくれるんだったら、円盤で欲しい。