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そんな今日この頃でして、、、

コード書いたり映画みたり。努力は苦手だから「楽しいこと」を探していきたい。

『ぼくらは都市を愛していた』感想(といえるほど綺麗にはまとまらんかった)

思弁的な作風を得意とする著者ということである意味「警戒」して読み進めていたのだが、 見事に驚かされた。

かつて援助交際をしていた刑事情報震の起こった未来の情報軍の小隊という2つの世界の並列進行という異色の設定・構成から始まりどうなるんだろうと思っていたら、いつの間にか氏の得意とする土俵に引きずり込まれていた。

「都市」という名の装置

表題にもある「都市」とは何だろうか?

ありきたりな表現では「物はあるが温かみがない」などといわれる。

田舎と対比して人と人との繋がりが疎である。

だがそれは裏を返せば、群体性の類人猿が群れとしての役割を極限まで機能に落とし込み、 効率良く独りで生きられるようにした装置であるともいえる。

相手の好き嫌いに関わらず人付き合いという行為そのものがストレスに感じられてしまう内向的な人間としては、いわゆる「地元」が無い人間としては、この価値観には実感をもって共感できる。

そして、その都市機能がさながら1個の知性のように振る舞うという発想が、本作をふくむ都市SFというジャンルの源泉だったりする。

共同幻想

まだ幼かった頃、「僕の見る青色と、他人の見る青色は果たして同じ色なのだろうか?」 と疑問に思ったことがある。

それぞれが別の個体として眼球という視覚器官を持つ以上そこには当然差異があるはずだが、 だとしてどう調べれば良いのか?子供の時分では疑問は疑問のままとなってしまった。

だが、視覚器官がどうあれ、区別可能なある色に対して「あれは青色である」という認識が共有されていれば、 社会において「青信号」といった役割を持った符号として成立しうるのだ。

言葉や文字やのようなあらゆる「情報」というものは、音声や記号のパターンという「データ」に対して共通認識による意味付けがなされて初めて用をなす。


バベルの塔を建造しようとした人々は神の怒りに触れて言葉が通じなくさせられ、 協調することができず、互いにいがみ合い、世界へと散らばっていったという。

「情報震」もこれにあたるのだろう。

承認欲求

昨今よく目にするようになった言葉に「承認欲求」というものがある。

なるほどある種の行動原理を的確に表現しているが、一方でどこか冷笑的でネガティブなニュアンスとして用いられがちである。

こと「生きる」だけであればほとんど他人と係る必要が無くなった現代の都市において、いや、だからこそなのか、ネット上では「承認欲求」を満たすための過剰な行動が多くみられるようになった。

だが、程度に差はあれど誰しも他人の承認なしには生きられない。

人間も所詮は群体性であり、他人の認識なしに自己の存在を確立することはできないのだ。


では、その「他人の認識」を認識するのはといえば、ーーーやはり自分なのだ。

いかに振り回されずに生きるか。

本作の結末を読み、僕の好きな漫画『EDEN』のこんな一節を思いだした。

自分の一人の面倒さえ見れない どうしようもない存在のままではいたくない

どうしようもない存在のままでも愛してくれるのは 母さんだけだから

そして母さんはもう 僕の側にいないから

EDEN(1)

EDEN(1)

強くならねばならない。