何ヶ月も前から書こう書こうと思っててネタ帳として使ってるNUboardをずっと占拠してたんだけど、 なかなか歯切れの良い感想が浮かばず保留してた本作。
Amazon限定 nu board (ヌーボード) B5判 NAB503BK08
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とはいえ開始時の期待だけ書いた状態でほっぽっとくのも何だし、いい加減Nasneの容量も空けたいしということで。
先に表明しておくと、僕はガッチャマンクラウズの1期はすごく好きだ。
スマホ・SNS・ソーシャルゲームといった現代的なモチーフに人工知能を加えた相互扶助社会の想像力には単純にワクワクさせられたし、 テクノロジーによる「社会のアップデート」を目指した爾乃美家累というキャラクター像については痛さや弱さも含めてエンジニアとして共感できた。
「普通の人々」のネットという新たな力のメタファーとしてのクラウズも物語の中でうまく機能していたし、 その中で普遍的な悪意にいかに相対するかというテーマ設定も興味深かった。
少なくとも円盤を買って手元においておこうと思う程度には好きだった。
そんなわけでインサイトにもかなり大きな期待をもっていた。
「空気」と戦うということ
二期のテーマを大雑把に表現するなら、「空気」との戦いといったところだろうか。
民衆が力を手に入れたとして、それは時に過剰な方向へ振れて大きな暴力ともなりうる。
いかにすれば正しく使われるか。そもそも何を持って「正しい」とするか。
ヒーロー、「正義」の担保
前作でガッチャマンの存在は公のものとなり、今作ではどうやら一般的にヒーローとして認知されているようだ。
ヒーローとは正義の代行者であり、すなわち社会どうあるべきかの規範を体現する存在である。
1期で繰り返えされてきた「ヒーローって何すかね?」という問い。
前作で「一方的に価値観を押し付ける」のではなく「あらゆる価値観を受け止める」存在として一定の答えを出したのだが、 今作では「ガッチャマンだから正義である」というある種のエリート主義としてしか機能していない。
メディア露出は民衆の意見をフィードバックするためのはずだったはずだが、 結局は民衆を駆動することに躊躇なく、そのくせ上手く行かなければ厭世家気取り。
興味深いのは、放映当時のTLである。
(個別の言及は差し控えるが)時事的問題にからめて自分の対局にある意見を「悪しき空気」になぞらえるようなツイートが多く見られたのだ。
皆がみんな、自分がガッチャマンのつもりなのだ。
さて、話をアニメの方に戻すと、彼らがガッチャマンなのは「宇宙人J・Jにより任命された」からである。
だが、ベルクカッツェだってかつてはガッチャマンだったわけで、任命されたことがそのまま正義であることの保証にはならないのだ。
であるならば、果たして彼らの肌感覚において「悪しき空気」を判定し、それを断とうとすることに正当性はあるのだろうか?
自分の反対は「悪しき空気」として、都合良くなるまで「自分で考えよう」と。
これってなんだか、一期の答えと反してませんかね?
「ショーとして消化する」という手段
個人的に決定的に嫌だなと感じたのが、最終局面の「空気」に立ち向かう手段としての「ショーとして消化する」という行為。
いや、「起こりうる結果をシミュレーションしてみせることで、個人で考えることを促す」みたいな趣旨は買うけど、 劇中でやったようなだまし討ち的な手段をされた側は良い気がしないんじゃないかね。
まして自己犠牲のような手段を用いたならば、それは意図せずとも流れを変化させてしまう。
それは空気を倒すというよりは、新たな別の空気を生み出すだけではないだろうか?
何が「悪しき空気」であるのか「ありのままの民意」であるのかという部分を肌感覚で断じて、 力あるものが流れを変えようとしてしまうことに、それを良しとする物語性に、 僕はどうしようもなく残念なものを感じてしまった。
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