- 出版社/メーカー: ポニーキャニオン
- 発売日: 2016/03/16
- メディア: Blu-ray
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本作は戦争映画としてみると何とも収まりの悪い印象を受けるのだが、 SFの文脈で読み解くと実に面白い(と、このジャンルの作品に言ってしまうことには抵抗はあるが)。
逆にいえば、そういうSF的命題が現実に突きつけられる時代に生きているというところに、 ある種の危機感を抱かなければいけないのかもしれない。
無人機パイロット
本作は米軍の無人爆撃機の操縦士を描いた映画。
毎朝マイカーに乗って基地に出勤し、 エアコンの効いたコンテナの中から無人機を操り、 遠く離れたアフガンの上空から目標を監視してミサイルを投下する。
地雷も対空砲も無い、安全圏からの攻撃。 土埃も血も無い、清潔な戦場。 それは理想の戦争形態なように見えた。
だが、兵士たちは疲弊していった。 ある者は酒に溺れ、またある者は薬物に手を出し・・・
PTSD
主人公のトミーは家族や周囲の反対にあいながらも、 危険な現地のパイロットへの復帰を希望する。
そして、アルコール依存症を示唆する場面がたびたび描写される。
『ランボー』や『ハート・ロッカー』や『アメリカン・スナイパー』で度々描かれるPTSDそのものなのだ。
かつては過酷な戦場がPTSDを生み出すと思われていた。
だが、事故や撃墜による命の危険が無い無人機パイロットであっても、 ストレスとは無縁ではいられなかったのだ。
敵の姿をカメラ越しとはいえ鮮明に見てしまう性質や「職場」と日常との落差など様々な理由付けなされてはいるが、 個人的には 距離が罪悪感を薄めてはくれない というのが本質なのだと解釈している。
天空から神の視点で眺めても「真実」は分からないし、 カメラ越しでも機械のように無感情にもなれない。
人間である以上、理性が否応無しに罪悪感を覚えてしまう。
それを埋め合わせるために本能が過度な刺激を欲してしまうのではないか。
そして、戦場から遠く離れた地でその欲求を満たすことはできず、 それでいて賞賛されることもなく、パイロットたちは病んでいってしまうのではないだろうか。
未来の戦争
さて、本作を鑑賞していて否応なく想像させられるのが未来の戦争の姿だ。
人間が人間を殺すという行為にはどうしても反動が伴う。
となれば次に来るのは機械による全自動の戦争だろう。
コンピュータが膨大なデータから統計的に脅威度を判定し、 機械が自動的に正確無比な攻撃を加える。
AlphaGoの躍進のニュースをみていて興味深く、そして恐ろしくも感じるのが、 「人間には理由が分からないがどうやら当たっているらしい」という状況が現実に生じてきているということだ。
ディープラーニングは昔ながらのエキスパートシステムのような「人間が用意した解法を機械に任せる」手法ではなく、 コンピュータが自ら特徴抽出を行い最適解を見つけ出す手法だ。
いわば説明不可能な「直感」が実装されたと言えるかもしれない。
そしてそれが人間よりはるかに高い精度を持ったならば、神託のように崇める世界が生まれるだろう。
機械の判断が本当に正しいのか何らかの誤りがあるのか、人間には判断できない社会。 古典的なチープなディストピア像である。
だからといってGoogleの発表会で暴れた阿呆のように「AIは危険だ!研究するな!!」みたいな考えは持たてない。
きっと人類にとって今の時点では想像もつかないような大きなメリットを生み出してくれるだろうという期待感があるし、 もっと単純にディープラーニングやその他の手法の可能性にはどうしようもなくワクワクしてしまうのだ。
コンピュータがあらゆるボードゲームを駆逐しようとも、それが何らかの形で社会を良い方向に導いてくれるに違いないと希望を抱いてしまう。
人間の好奇心とは恐ろしいものである。
ドローンによる戦争といえば、『伊藤計劃トリビュート』に載っている藤井太洋氏の「公正的戦闘規範」を連想させられる。
本作の劇中にも出てきた「いつかは貧者もドローン兵器を使うようになる」という台詞が実現してしまった世界だ。
ディープラーニングやその他の機械学習の手法においては「教材」をいかに用意するかが重要なのだが、 そのあたりの想像力も実に面白い。
また、偶然かもしれないが、「距離が罪悪感を薄めてはくれない」問題へのある種の解にもなっている。
物語そのものについては正直なところあまり好感を覚えなかったのだが、 世界観やガジェットのアイディアには見るべきものがある。